ダイビング観光の経済効果は年間最大約3兆円。2025年発表の論文が示す「サンゴ礁の健康=事業の資本」という現実

「ダイビングは趣味の世界の話」――行政や他業種の人と話していて、そう受け止められていると感じたことはないでしょうか。
2025年7月、学術誌『Cell Reports Sustainability』に、スキューバダイビング観光の経済規模を世界全体で初めて推計した論文が掲載されました。数字が示したのは、ダイビングが地域経済と雇用を支える無視できない産業であること。そして、その価値を生み出している「海そのもの」が劣化しつつあるという現場のショップの実感です。
本記事では、ダイビングショップ経営者・インストラクターなど業界関係者に向けて、この論文のポイントと、そこから見えてくる「いま現場で取り組むべきこと」を解説します。
✍️ 筆者から一言:私は沖縄でインストラクターとして約20年、ダイビングショップの現場と経営の両方に関わってきました。お客様の数や売上の話はよくしても、「自分たちの仕事が地域経済にどれだけ貢献しているのか」を数字で語れる機会はほとんどありませんでした。この論文を読んだとき、まず感じたのは「日本中のダイビング関係者に知って欲しい」ということです。
論文の概要――どうやって「世界のダイビング経済」を測ったのか
研究を行ったのは、カナダ・ブリティッシュコロンビア大学のアンナ・シューバウアー博士を筆頭とする国際チームです。ナショナルジオグラフィック協会やスクリップス海洋研究所の研究者も名を連ねています。
手法は大きく3段階です。
世界中のダイビング事業者を洗い出す
Google上の公開情報とPADIの事業者リストを照合し、約170カ国・11,590の事業者を特定。
事業者にアンケートを実施
2021〜2022年に、日本語を含む12言語でオンライン調査を実施。81カ国から425件の回答を得て、料金データなども補完。
データのない地域を統計的に推計
似た条件の事業者のデータから欠けている部分を補う手法(ベネフィット・トランスファー)で、世界全体の数字を算出。
なお、調査ではコロナ禍前(通常営業時)のビジネスを前提に回答してもらっています。

ポイント1:世界で年間85億〜204億ドル、最大12.4万人の雇用
論文が示した主な数字を整理します。
ダイビング観光の参加者 世界で年間およそ890万〜1,360万人(ダイバー・スノーケラー)
ダイビングショップが直接受け取る売上 年間9億〜32億ドル(1ドル=150円換算で約1,350億〜4,800億円) 講習、ファンダイブ、ダイブクルーズ、器材レンタルなどの合計
ダイバーが地域で使う周辺消費(宿泊・飲食・現地交通など) 年間76億〜172億ドル(1ドル=150円換算で約1.14兆〜2.58兆円)
上記を合わせた経済効果 年間85億〜204億ドル(1ドル=150円換算で約1.3兆〜3.1兆円)
雇用人数 閑散期で約2.8万人、繁忙期で最大約12.4万人(パート含む)
注目したいのは、ショップの売上の数倍のお金が、宿・飲食店・交通など地域全体に落ちているという構造です。ダイビングショップは、地域にお客様を連れてくる「入口」の役割を担っているとも言えます。

論文では比較対象として、ホエールウォッチングの経済規模(2003年の推計を2022年の価値に換算して年間約34億ドル、雇用約1.3万人)も挙げており、ダイビングはそれを上回る規模と見られます。
ポイント2:雇用の8割はその国の人
アンケートでは、ダイビング事業者の従業員の約80%がその国の出身者でした。アジアでは71%とやや低いものの、それでも大半が国内の人材です。
論文は、大型リゾート開発などのマス・ツーリズムが地域社会の周縁化や環境の劣化につながりやすいと指摘し、それに比べてダイビングは雇用が地域に残りやすい産業だと位置づけています(ただし、利益がどこに配分されているかまでは調査されていません)。

著者らは、小規模漁業と同様に、ダイビングのようなエコツーリズムは「ブルーエコノミー(持続可能な海洋経済)」の中心的な担い手になり得ると論じています。
ポイント3:熱帯のショップほど「海が悪くなった」と感じている
この論文には、経済の数字と同じくらい重要なデータがあります。事業者に「過去10年でダイビングポイントの環境はどう変わったか」を尋ねた結果です(回答315件)。
熱帯域の事業者は、温帯域よりも「悪化した」と感じている割合が高い
具体的に挙がったのは、生物多様性や生き物の量の変化、サンゴの白化、汚染、水質の悪化
一方で、熱帯・温帯ともに「良くなった」という回答も一定数あった
また、熱帯の事業者が「最も重要な集客資源」として挙げたのは、サンゴとそこに暮らす魚、ウミガメ、エイ、サメでした。
つまり、稼ぎの源泉である資源が、現場の実感として目減りしているということです。ショップ経営に置き換えれば、主力商品の品質が年々落ちているのに、その管理を誰も担っていない状態に近いと言えます。
✍️ 筆者から一言 私が活動している沖縄でも、この感覚は他人事ではありません。2024年の夏から秋にかけて、私が観察していた沖縄本島北部では、サンゴの大量白化を目の当たりにしました。
サンゴの回復を妨げないためには、白化が起きたポイントを一定期間休ませることも必要だと考えています。実際、2010年の大規模白化の際には、マレーシアが国立海洋公園のダイビングポイント12か所を約1年間閉鎖し、タイも18か所を閉鎖しました。行政の一方的な規制ではなく、地域のショップが合意して休ませる場所と期間を決める。そうした仕組みなら、日本でも実現できるはずです。
出典:Reef Resilience Network「Malaysia & Thailand – Disturbance Response」、Tourism Malaysia プレスリリース(2010年7月)
ポイント4:回答事業者の多くは「保全に関わっている」と答えた
論文によれば、アンケートに答えたダイビング事業者の大多数は、すでに地域・国レベルの保全活動に関わっており、残りの事業者も参加の意思を示していました。
ただし、この結果は回答した425事業者(全体の約4%)の自己申告で、保全に関心の高い事業者ほど回答しやすかった可能性があります。日本単独のデータは示されていません。日本の現場の実感としては、保全活動に継続的に関わっているダイビングショップはまだ一部ではないでしょうか。この「世界と日本のギャップ」こそ、次に紹介する取り組みが必要な理由です。
著者らは、トップダウンで設定される海洋保護区だけでは限界があり、地域の事業者や住民が主体となるボトムアップ型の保全の方が成果を上げやすいと指摘しています。
そのうえで、ダイビング事業者の現場の知見を、沿岸の管理や政策決定に正式に取り込むべきだと提言しています。
※論文の数字を読むときの注意点
業界として数字を使う際には、論文自身が挙げている限界も押さえておく必要があります。
これは「保守的な第一次推計」です。器材の製造・販売や指導団体の収益は含まれていません。
周辺消費は「一般的な旅行者の平均支出」で計算されています。論文では、ダイバーは一般旅行者より多く消費する傾向があるとも指摘しており、実際の規模はもっと大きい可能性があります。
事業者の特定はGoogle上の情報が中心のため、Webに情報を出していない小規模事業者は漏れている可能性があります。
国・地域単位の数字は不確実性が大きいとされています。「日本のダイビング市場は○○円」といった形で、この論文から国別の数字を引用するのは適切ではありません。
データはコロナ禍前の営業状況が前提です。論文のアンケートでは、コロナ禍の影響を「マイナス」と答えた事業者が222件、「プラス」が107件でした。売上が倍増したという声がある一方、事業が壊滅したという声もありました。
著者らも、この数字は政策を「決める」ものではなく「方向づける」ものとして使うべきだと述べています。
論文が求めているのは「統一されたデータ」
論文の提言部分で、業界関係者にとって特に重要なのが次の点です。
ダイビング産業の実態を継続的に把握するため、地域・国ごとに標準化されたモニタリングの仕組みが必要
そのデータ収集やガイドラインづくりの担い手として、DAN、PADI、Green Fins、Reef Checkなどの団体が連携できる
ここで名前が挙がっているGreen Finsは、国連環境計画(UNEP)とReef-World Foundationが運営する、ダイビング・スノーケリング事業者向けの国際的な環境基準です。
だからこそ、沖縄と日本各地でGreen Finsを
論文はGreen Finsの効果そのものを検証したわけではありません。ただ、論文が描く課題を並べると、Green Finsの仕組みがそれにどう応えるかが見えてきます。


コメント